社長に関することで、世の中にありがちな事業の発展を妨げている思い込みなどをまとめてみました。
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  • 経営全般に関する常識の壁
  • 取引に関する常識の壁
  • ヒトに関する常識の壁
  • カネに関する常識の壁

ビジネスの世界にも常識の壁がたくさんあります

世の中の常識の中には、一見常識のように思えて、実は単なる思い込みや錯覚に過ぎなかったというものがあります。

そういうものに関しては、世の中におけるトレンドの変化という形で古い常識が淘汰され、新たな常識が生まれます。

 

同様に、ビジネスの世界においても、当たり前のように思われていることであって、実は単なる思い込みや錯覚にしか過ぎなかったというものがあります。

それらは、組織やヒトの成長を阻むという弊害を生み出しています。

 

ただし一般的な世の中の常識とは異なり、自然に古い常識が淘汰され新たな常識が生まれるわけではありません。

ビジネスの世界に身を置く人たちが、自ら気づき、変えようとしない限りは、誤った常識は消えてなくならないのです。

1.経営全般に関する常識の壁

その1;社長の苦しみは社長にしかわからない

社長という仕事は孤独なのだと口にする社長が多いです。

自分の決断の誤りが、従業員の生活を狂わせ、取引先に迷惑をかけ、そして自分自身の生活の破たんを招くことを身にしみて感じながら、日々、重い決断をしなければならないからです。

そのようなプレッシャーにさらされ続けている人の気持ちなんて、そのような立場に置かれている人にしかわからないということです。

 

しかし、そのような思いを持ち続ける限り社長がなにもかもの重荷を抱え続けることになり、社長自身のパワーを減退させてしまいます。

社長が疲弊すれば、会社も疲弊してしまいます。

中でも最も大きな問題は、社長の「従業員にオレの気持ちなどわかるはずがない」という心の持ちようが、社長自身が従業員の気持ちをわかろうとしなくなることにつながってしまうということです。従業員の気持ちがわからないことに悩む社長は多いですが、社長自らがわからなくする壁を作ってしまっているのです。

全部をわかってもらえなくても、一部だけでもわかってもらえればよいのではないでしょうか。

そのことが、社長と従業員とのコミュニケーションを良くすることにつながり、従業員が社長目線で物事を考えてくれるようになるかもしれません。


その2;計画のゴールは数値目標

たいていの社長は、経営計画や事業計画などと呼ばれる計画を作成しています。

現在の会社の状況や今後の方向性、戦略や根拠、将来のゴールイメージなどを可視化したツールです。

社長自身の考えを整理するためにも必要であり、また周囲の人間に社長自身の考えを伝えるためにも必要なツールです。

 

しかし、ここに常識の壁が生まれてしまいます。

計画を見る側もゴール地点の数字に着目するはずだという意識のもとで、数字を置くことに全力を注いでしまうという常識の壁です。

たしかに数字は客観的で、誰が見ても同じ結果が見えます。数字が良くなっているということは会社の業績も良くなっているということを客観的に表すことになり、会社の将来を知りたい人たちに対しても安心を与えます。

ただし、計画の数字は、あくまでも筋書き通りに事が運んだときに予測(期待)できる数値結果を現しただけであり、筋書き通りに事を運ぶための根拠がしっかりしていないと、単なる希望的観測で終わってしまいます。

計画は、つじつま合わせをするために作るものではありません。どのような方向に向かいたいのか、そのためにどうするのか、その結果どのような結果が予測(期待)できるのかということを理論的につなげて可視化するためのものです。

ゴールの数字だけを導き出して自己満足に浸っていたのでは、なにも計画を作らなかったことと同じです。

計画は、あくまでもプロセスありきです。「そのためにどうするのか」が一番重要です。

ゴール地点の数字が明確になっていなくても、プロセスが明確になっている計画なら、説得性があります。 


その3;今を尺度に物事を考える

社長は、常に、もっと受注を増やすためにはどうすればよいのか、新しい取引先を作るためにはどうすればよいのかを考えています。

そして、考えが煮詰まったら行動に移します。

しかし、なかなか思うようには物事は進みません。

星の数ほどの会社がある中で自社の存在に気づいてもらえない、気づいてもらえていても自社の商品やサービスを欲しいと思ってもらえない、あるいはもっといいものがある、そのような事態に直面することが原因です。

 

加えて、常識の壁が結果を出せない原因となることもあります。

その常識とは、今までの取引の形イコール今後の取引の形だと思い込んでしまうことです。

今までこういう形で商品やサービスをお客様に提供してきた、だから今後のことも今までの取引の形を前提に考えるべきだという思い込みが生まれてしまうのです。

しかし、ビジネスの環境は常に変化しています。

ネットでモノを買うのが当たり前の世の中になっており、決済をする人間も今風の感覚を持った世代へと変化しています。

今までの取引の形は今までの環境が生み出した形態であり、今後の取引の形は今後の環境にマッチしたものが自然と築かれていきます。

さらに、欲しいと思われているモノのすべてが世の中に存在しているわけではありません。

自分にあったモノがなくて困っている人もいますし、今よりも満足度を高くするためにもう少し違った形でモノを提供してほしいと思っている人もいます。

今までの取引の形に固執してしまったのでは環境の変化についていけなくなりますし、今現在満足していない人に必要なモノを提供することもできません。

 

今までのことは今までのこと、今後のことは今後のことというように、頭の中を常にクリアーにして考えることが必要です。


その4;組織や肩書は必要

どの会社にも組織と肩書きがあります。○○部、○○課、○○係などの組織名称があり、それぞれに部長、課長、係長という肩書を持った人が配置されています。

このことは一見当たり前のことのように思えますが、弊害も生みだしています。

 

組織があることの弊害とは、ヒトに仕事をつけることから生まれる、この人がいなかったら仕事が回っていかないという状況を生み出してしまうことです。

自分しかいないから休みたくても休めない、誰かが辞めたら全体の業務がガタガタになる、そのような光景がよく見られます。

そのことは無理をすることにつながり、無駄を生み出します。

このような状況を作らないためには、仕事にヒトをつける、すなわち誰もができるような状態にすることが必要です。

担当者以外にもやれるヒトが何人かいれば、休むことに気を使うこともなくなり、退職者が出たときの引き継ぎもスムーズに運びます。

そればかりではなく、今必要な仕事に全員が集中して取り掛かれることにより、生産性が高まります。

 

肩書きがあることの弊害とは、情報の伝達や物事を決めるのに時間がかかってしまうことです。

上に部長、課長、係長がいれば、まずは係長に話を通し、その後課長、部長へという順序で物事が進んでいきます。

その分、処理するのに時間がかかり、後手を踏む、タイミングを逸してしまうといったような結果を生み出します。

役割と権限を明らかにするという意味で肩書きが必要な面もありますが、先ほど述べたような組織の硬直化という意味での弊害も生み出します。

 

規模の小さな会社の場合、組織や肩書ありきの発想から抜け出してみてもよいのかもしれません。

 

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2.取引に関する常識の壁

その1;営業を強化すればモノは売れる

どの会社も、営業には力を入れています。そのために優秀な人材を採用し、教育も施します。

それなのに、結果が伴わないケースが多いのです。

人も増やし営業マン教育も受けさせたのに売上が伸びない、営業経験豊富な営業マンを採用したのに期待外れだったという結果を目にすることが日常茶飯事です。

 

なぜ、そうなるのでしょうか。

その答えも、常識の壁にあります。

営業を強化すればモノは売れるはずだという思いこみです。

よく考えてみると、この考えは矛盾していることがわかります。

自分のところでしか商品やサービスを提供していないのであれば、売るための戦力を増やせばある程度のモノは売れるはずですが、現実の世界では、そのようなことはありせん。

どのような世界にも競争相手がいます。

買う側の選択肢も多く、比較した上で一番満足のいくモノを買います。

そのような状態の中では、営業の頭数を増やすことが売上を増やすことに直結しません。

「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の考えは通用しないのです。

営業の頭数にこだわる前に、商品やサービスの中身にこだわるべきなのです。

 

競争相手のモノと比較したときの特徴や優れている部分がはっきりしており、その特徴がフィットするお客様の層がはっきりしている状態で営業を強化すれば、売上も伸びます。

成績の良い営業マンに対して、口先が上手である、人の心に取り入るのが上手いといったようなイメージがあるために、営業を強化すれば必然的に売上の増加が見込めるというように思いたくなるのですが、魅力的な商品やサービスがあり、魅力を魅力だと感じてくれる相手がはっきりしている状態でコミュニケーション能力の高い営業マンが相手に求めていたモノだと気づいてもらえるような営業を行うことで売上が上がるのです。


その2;取引してもらっている側が弱い立場なのは当たり前

景気が悪くなってくると会社の経営が苦しくなる原因の一つに、取引先からの値下げ要求に応じなければならなくなることがあります。

価格以外にも、取引先は様々な要求を突き付けてきます。

納期に関する要求や品質に関する要求に始まり、内容も徐々にエスカレートしていきます。

そして、要求を突き付けられるたびに、会社は翻弄されます。

相手の顔色を覗い、無理難題に頭を悩ませ、挙句の果てに「やむを得ない」の一言で要求を飲んでしまいます。

実は、この姿も、常識の壁が会社の成長を止めてしまっていることの一例なのです。

つまり、「取引してもらっている側が弱い立場なのだ」という常識の壁が立ちはだかっているのです。

 

ほんとうに、取引してもらっている側が弱い立場なのでしょうか。

本来、取引に強い弱いはありません。

求められる商品やサービスを提供する側がおり、必要だと判断した求める側が決められた対価を支払って手に入れるのが取引です。

そこには、相互が対等な立場で補完しあっているというWIN-WINの図式しかありません。

まったく同等の商品やサービスが複数存在する場合は価格の安いモノが売れることになるわけですが、そうでない場合は、品質と価格のバランスが取れているモノが売れます。

多少高くても飛ぶように売れるモノがたくさんあるのも、このことによるものなのです。

 

競争相手がうじゃうじゃいる土俵の上で、頭を下げまくり、こびへつらいながら買ってもらっている限りは、取引してもらっている側が弱い立場だという感覚から抜け出すことはできず、経営も安定しないでしょう。

そのような悪循環から抜け出すためには、競争相手が少ない土俵はどこなのかを見つけることと、求める側が真に満足するモノはなになのかということを常に探究することが必要です。

 

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3.ヒトに関する常識の壁

その1;人事はカネを生まない

多くの中小企業では、人事部という単独の部署は存在せず、他の部署が人事の仕事を片手間に行っています。

なぜなのでしょうか。

それは、「人事はカネを生まない」という常識の壁が立ちはだかっているからなのです。

人事という仕事イコール、採用や退職の窓口であったり問題を起こした従業員への対応であったりなど、ヒトに関する手続きを行う部署なのだと思われているからなのです。

そのようなカネを生まない仕事のためにわざわざヒトを配置するなんてもったいない、そんなところに配置できるヒトがいるのであれば営業や現場に回すべきだという考えが存在します。

 

たしかに、手続き仕事だけを行う分にはカネを生み出しません。

しかし、それは人事の仕事の一部にしか過ぎず、人事の本来の仕事は、会社で働くヒトの管理を総括して行うことなのです。

ヒトの管理の本質とは、人材の確保、底上げ、定着を図ることです。

確保した人材が、持てる能力を存分に発揮し、その上で定着してくれることが、カネを生み出すことにつながります。

 

それでは、これらのことに力を入れようとしていない会社には、どのようなことが起こっているのでしょうか。

費用をかけて確保した人材が、能力を発揮しきれないまま居続けることで、売上が伸び悩む中で固定的な人件費が増え続ける。

がて、希望を失った人材が退職してしまい、再び費用をかけて人材を確保するものの、やはり生かし切れず、人材が入れ替わる。

このような悪循環が生じています。

人材の確保、底上げ、定着に力を入れた結果、前述したような悪循環がなくなれば、カネを生まない人材に払い続ける人件費や繰り返し生じる募集や採用の費用が発生しなくなるという面でカネを生み出すだけではなく、生産性が高まることにより売上や利益が増えるという面でのカネも生み出します。

限られた人数で事業を行う中小企業こそ、人材の確保、底上げ、定着に力を入れる必要があります。

そのための専従者を置くのかどうかは別にしても、人材の確保、底上げ、定着を徹底するための時間は割く必要はあるのです。


その2;昇給、賞与、退職金があるのは当たり前

毎年の昇給、夏と冬の賞与、退職金制度は、どの会社でも当たり前のように存在しています。

社長自身もあるのが当たり前だと思っていますし、従業員も当たり前だという感覚でいます。

しかしながら、どこにも、会社は毎年昇給を行わなければならない、夏と冬には賞与を支給しなければならない、退職金制度を設けなければならないなどという根拠は存在しないのです。

あるのは、毎月決まった時期に現金で給料を支給しなければならないということだけなのです。

いずれも世の中に定着している雇用慣行なために、「そうするものなのだ」という思いこみで、どの会社も対応しているだけのことなのです。

 

この常識の壁が、会社の成長を阻む原因になっていることにお気づきでしょうか。

昇給があるということは、その後は全従業員の昇給分の人件費が増えるということです。

賞与を支給するにもお金が必要です。

退職金に至っては、将来の負担が毎年積み重なっているのです。

 

会社の業績が必ず毎年良くなるのであれば対応できるかもしれませんが、そのようなことを実現している会社はほんの一握りだけであり、多くの中小企業は、業績が伸び悩み、苦しんでいます。

そんな中、当たり前だという感覚だけで昇給や賞与、退職金を支払い続けると無理が生じるのは当然です。

現実問題、背に腹は代えられぬということで昇給や賞与の支給を見送ったものの従業員の士気低下が気になりストレスを抱えてしまう社長や借金をしてまで賞与を支給している社長、退職する従業員に頭を下げて退職金の分割払いに応じてもらっている社長の姿を目にすることがあります。

 

なぜ、このような無理が生じるのでしょうか。

それは、社内に昇給、賞与、退職金があるのは当たり前だという空気が蔓延しているからなのです。

みんなが当たり前だと思っているから、当たり前のことがやれないことに対して不満が生じるのです。

このようなリスクから脱却するためには、社内にはびこる当たり前感を払拭することが必要です。

個人の頑張りに応じて昇給が決まる、みんなが一丸となって会社に利益が出れば賞与を支給するという考えを浸透させればよいのです。

そうなれば、無理をしてまで昇給や賞与の支給を行わなくても済むようになります。

退職金に関しては、制度そのものをなくしてしまうか国が運営する共済制度に鞍替えするという対応ができるのであればそれが望ましいのですが、そのような対応ができない場合でも、会社の体力に見合った内容にメンテナンスする必要があります。


その3;残業があるのは当たり前

アフターファイブと言う言葉がありますが、実際にアフターファイブの時間を楽しんでいるビジネスマンの数は、そう多くはありません。

夜の十時、十一時のビジネス街にも、煌々と明かりが灯り、ビジネスマンたちが残業に励んでいます。

このことは、はたして素晴らしいことなのでしょうか。


日本人の勤勉性を表す面においては素晴らしいことのように思えますが、実際は、会社の成長を阻む原因ともなっています。

問題はいくつかありますが、一番大きな問題は、残業をすればするほど収益性が低下することにあります。

単純生産の工場であれば時間を費やすことイコール生産量の増加という図式が成り立ちますが、そうでない場合は、そのような図式は成り立ちません。

ましてや、残業したときの人件費は割高であり、長時間労働になるほど能率は下がります。

さらに、慢性的な長時間労働は、疲弊を生み、生産性や士気の低下という結果ももたらします。


そうであるにもかかわらず、なぜ残業はなくならないのでしょうか。

その答えは、社長自身に、従業員が残業するのは当たり前だという感覚があるからです。

「仕事があるから残業をしています」という従業員に対して、社長は反論しません。

それどころか、たくさん残業している従業員は仕事ができる、ヤル気があるというように錯覚してしまいます。

これも、常識の壁から来るものです。


本来、残業をしても、なんの得もありません。

残業した分、人件費が割高になり、従業員が疲弊し、光熱費なども増える一方です。

残業は、必要に迫られたときに、最小限度の時間行うだけでよいのです。

習慣的に残業するという体質は排除しなければなりません。

全員が仕事の無駄を省き、効率よく仕事を進め、それでも定時を過ぎてもその日のうちに必ずやらなければならない仕事が存在するのであれば会社は儲かっているわけであり、社長は従業員の負担を減らすためにヒトの補充を考えるべきです。

そうでなく習慣的に残業をしているのであれば、仕事に関する無駄の排除や効率性、優先順位などを徹底する必要があります。


その4;管理職者には残業代を支払わなくてもよい

近年、名ばかり管理職という言葉を耳にする機会が増えました。

名ばかり管理職とは、法律上残業代を支払わなくてもよいとされる要件に該当していないのにもかかわらず、名目上管理職の称号を与えられることで、残業代の対象外とされてしまう人たちのことを言います。

そして、一般の中小企業における管理職者のほとんどが名ばかり管理職に該当しています。

一部の管理職者には残業代を払わなくてもよいという法律上の根拠の中の『一部』という部分を外した言葉が独り歩きしており、大半の社長の中でもその言葉が常識化されているため、このような問題が発生します。

本来、中小企業で残業代の対象外となる管理職者は、勤怠管理が適用されない部門長クラスの人間など、ごく一握りの範囲に限られます。


コンプライアンスという面においても名ばかり管理職の存在は問題なのですが、それ以上に大きな問題があります。

それは、現場を管理する管理職者が「どうせ残業代は支給されないのだから」という気持ちで自己の時間管理を疎かにしてしまい、そのことが現場全体のダラダラ感を生み出しているということです。

上司がダラダラと仕事をしていれば、部下もダラダラと仕事をします。

上司が帰らないと、部下も帰りづらいものです。

そのことが、習慣的な残業体質を生みだし、会社の収益性を低下させます。


法律上の根拠に基づいて現場の管理職者に対しても残業代を支給するようにするのが一番良い対応ですが、すぐにはそのような対応ができない場合であっても、現場の管理職者に対して、時間管理を徹底するように働きかける必要があります。


その5;モチベーションは与えるもの

モチベーションとは、日本語に訳すと動機付けであり、ヤル気を沸き立たせるための心の働きかけという意味合いの言葉です。

モチベーションという言葉を気にする社長は多いです。

従業員がいかにモチベーションを高められるかということに、かなりの神経を使っています。

たしかに、すべての従業員が高いモチベーションを維持している状態であれば、会社は活気づくでしょう。

従業員の不平不満も少なくなるはずです。


しかし、ここにも常識の壁があります。

それは、モチベーションは与えるものだという感覚を持ってしまうことです。

顕著な例が、営業マンに対するモチベーションです。

ヤル気を高めて営業活動に取り組んでほしいという思いから、会社は、あの手この手を繰り出そうとします。

実績に応じて報酬を支払うことを口にし、あげくの果てに、成績が悪くてもそれなりの報酬を支払おうとしてしまいます。

モチベーションが下がるのが怖いからです。


ここで考えていただきたいことがあります。

それは、モチベーションは他人から与えられるものではなく、自分から働きかけるものだということです。

自分自身の目標を立てて、目標に向かって幾多の困難を乗り越えながら進んでいこうと気持ちを奮い立たせる。

それができるのは、その先に自分が求めているものがあるからなのです。


他人からモチベーションを与えられることを期待する人に、結果は期待できません。

そういう思いがあるうちは、自分から動こうとせず、自ら考えようとしないからです。

従業員のモチベーションが気になるのであれば、自らモチベーションを高められるような環境を築いてあげるべきです。

与えられた仕事を行うことの意義を理解させ、自ら目標を立てるように働きかけましょう。


その6;頑張っているヤツを評価すべし

どの会社にも、従業員を評価するタイミングがあります。

評価した結果が、昇給や昇格、賞与といった直接的な処遇や、今後に対する期待判断などに反映されます。


評価は必要です。

やってもやらなくても一緒では従業員の士気が下がりますので、メリハリをつける必要があります。


ただ、ここにも常識の壁が立ちはだかります。

それは、無意識のうちに頑張っている人を高く評価しようとしてしまうことです。


そもそも、給料を貰いながら働いているのであれば、頑張るのは当たり前のことです。

頑張らない人は、会社に居る資格がありません。

大事なのは、そこから先です。

いかに結果を生み出せたのか、いかに能力を高められたのか、創意工夫した跡がどの程度見られるのか、というような部分です。

その部分をおざなりにした評価をしてしまうと、結果に関係なく頑張っているように見える人だけが高く評価されてしまいます。

そうなると、評価に対する公平性が失われるのはもちろんのこと、頑張り続ける従業員が結果を出せないまま疲弊し離脱することにもつながりかねません。


毎日夜遅くまで残業して休日出勤も厭わないという従業員はどの会社にも存在しますが、はたして彼らは、なんのためにそこまで頑張っているのでしょうか。

頑張れば、いつかは結果がついてくるというつもりで頑張っているのでしょうか。

仕事は、精神論で片付くほど甘いものではありません。

成功という結果に向かう道筋には、きっちりとした根拠があるのです。

頑張ろうという心意気を買ってあげるのはよいのですが、それならば、頑張っている従業員が結果を導けるようにアシストしてあげることが必要です。

そうした上で、生み出せた結果を高く評価してあげれば、その従業員も更なる頑張りを発揮し、周囲に対しても良い刺激を与えることでしょう。


その7;教育機会を与えればヒトは成長する

従業員を雇うからには、成長させなければなりません。

同じ人件費を負担するのであれば、それだけ期待値が大きいほうがよいからです。

ところが、黙っていても、大半の従業員は会社の思う方向には成長しません。

そこで必要となるのが教育です。

仕事そのものを教えることも教育ですし、心構えやノウハウ、テクニックなどを教えるのも教育です。

幸いにして、一般の中小企業における社長の教育に対する意識は高いのですが、カネをかけて教育したのに、特になにかが変わったわけではないという嘆きを耳にすることがよくあります。

教育は、カネだけではなく時間も消費するため、会社にとっては投資と同じ意味合いなのです。

 

なぜ、このようなことが起きてしまうのでしょうか。

その答えは、教育機会を与えればヒトは成長するはずだという思い込みがあるからです。

時間を割いて教え込んだら、あるいは著名な講師の話を聞く機会を与えれば、たちまちのうちに従業員の行動が変わってくるのではないかという期待と錯覚があるからです。

 

しかし、現実は異なります。

教育を受けたことにより頭の中の発想は広がったかもしれませんが、そのことと仕事をする上で行動を変えられることとは次元が異なります。

新しく得た知識やノウハウをどのように行動に生かせばよいのかがわからずにいる従業員が大半なのです。

それに対する手当てをしないまま放置しておくと、元の木阿弥となってしまいます。

そうならないためにも、教育を受けさせた後に日常の仕事で教育の成果をどのように生かしていくかということをきっちり考えた上で教育機会を与えることが必要となります。

 

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4.カネに関する常識の壁

その1;借入金があるのが当たり前

企業経営と銀行は、切っても切れない関係にあります。

事業を行う上で、人間の血液に相当するものが資金です。

資金を上手に分配しながら成果を生み出し、その結果資金が潤沢になり会社も成長します。

人間が、食べ物から栄養を吸収し、血液を通じて栄養が体内に行きわたり、体が成長する仕組みと同じです。

企業が、事業を行う過程で、銀行から調達した資金残高が借入金です。


借入金というと暗いイメージが付きまといますが、一般的な借金とは多少意味合いが異なる部分もあります。

新しい取引を始めるときや投資をするときなど、手持ちの資金では全額賄えないけれども、近い将来、投入する資金を上回る現金が回収できると判断した場合に、手持ち資金に不足する部分を借りるのであれば、前向きな対応です。


その判断を行うのが社長なのですが、ここにも常識の壁が存在します。

銀行からの資金調達と返済が日常的なことになり、常に借入金の残高が存在している状態に置かれてしまうことで、借入金があるのが当たり前だというような感覚に陥ってしまうのです。

その結果、安易に銀行からの借り入れに依存してしまい、気がつくと、借入金の残高がとてつもなく膨らんでいたという状況に陥ります。

借入金があれば毎月返済しなければならないのは当然ですが、加えて金利が発生します。

金利を上回る利益率の見込めることに投資するために借り入れを行うのならわかりますが、そういう判断のないまま安易に借り入れを起こしてしまうケースも多いのです。


借金のない状態で、事業で生み出した利益を今後に向けて投資し、それにより次の利益を生み出すというのが、本来の経営の姿です。

その姿に近づくためにも、まずは、借入金があるのが当たり前だという感覚から脱することが必要です。


その2;決算書は従業員に見せるものではない

会社は、事業年度ごとに決算書を作成します。

一年間頑張った結果どれだけの儲けが生じたのか、一年間の事業活動を終えた時点でどのような財政状況になったのかということを報告する書類です。

会社の通信簿のような書類であり、儲けや損失の程度、資産や負債の状況が克明に記されています。

 

一般的に、社長は、従業員に決算書を見せることを嫌います。

嫌うというよりも、隠そうとします。

決算書を見せることで役員報酬のだいたいの金額を知られてしまい従業員の間に不満が生じるのではないだろうか、損失の金額や借入金の残高が大きいことを知られることで従業員の間に不安が生じるのではないだろうか、というような理由から来るものです。

 

しかし、これも常識の壁と言えるのではないでしょうか。

隠すことで、かえって従業員はマイナスの方向に推測します。

会社が儲かっているときであれば社長を中心とした一部の人たちだけが美味しい思いをしているのではないだろうか、会社が苦しいときであればうちの会社はもうじき潰れてしまうのではないだろうかなどと、ネガティブな発想を抱きます。

そうなることが、会社に対する不信感や士気の低下を招きます。

 

情報は極力オープンにして従業員との間で共有したほうが上手くいきます。

儲けが出たのであれば、みんなで頑張ったからこのような結果が生まれたのだと客観的に示した上で、儲けの使い道を説明したらどうでしょうか。

社長が多く取るのも、私利私欲から来るものではなく、銀行からの信用を高めるためなどの理由があることを説明したらよいと思います。

透明性を高めることで、従業員の発想もポジティブなものへと変わるはずです。

会社が苦しいときも同様です。

損失や借入金の程度を理解させた上で、まだまだやれるのだと自信を持って口にして、改善していくための考え方を説明すれば、従業員の発想はポジティブなものへと変わります。

 

決算書を見せることに関しては機密保持という面での配慮も必要ですが、従業員との間で会社の状況を認識しあった上で今後の方向性について理解しあうための手段として考えるのもよいのではないかと思います。

 

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★マネージャー(管理職者)に関係する思い込みなどをまとめたページもありますので、参考にしてみてください。

ビジネス界における常識の壁(マネージャー編)