マネージャー(管理職者)に関することで、世の中にありがちな事業の発展を妨げている思い込みなどをまとめてみました。
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マネージャーとはチームを率いる管理職者のことをイメージしていますが、マネージャーは大変重要な役割を担っています。
マネージャーの立場にいる人間が、単に長く勤めた結果社内における地位が上がったのだというような感覚で仕事をしていると、会社は崩壊してしまいます。
経営の舵取りをするのは社長であり、会社という船が目的地へ向かって順調に航海できるのか、はたまた荒波にのまれて沈んでしまうのかは社長の判断にかかっていますが、正しい判断を行うためには現場の情報を正確に認識することが必要です。
現場が現在どのような状況にあるのか、どのような問題をはらんでいるのかということを船頭役の社長が正しく認識することにより、船を目的地まで安全に航行させるための正しい判断が行えるのです。
よって、マネージャーには、チームを社長の下した方針に則って牽引しながら、社長に正確な情報を報告しなければならないという重要な役割が課せられています。
さらにマネージャーには、もう一つの大きな役割があります。
チーム内のスタッフを、希望を持って働こうという気にさせて、持てる能力を存分に発揮できるようにすることです。
なぜマネージャーという役割があるのかということですが、答えは、社長が会社全体に目を光らせながらコントロールすることに限界があるからです。
それゆえ、社長は、本来自分が担うべき役割の一部を代わりに担ってもらう目的で、信頼できる人間をマネージャーに抜擢します。
社長は、マネージャーに対して、スタッフを成長させつつチームの成績が上がるようなマネジメントをしてもらいたいという期待はもちろんのこと、社長の考えや社長が思い描く会社の方向性をスタッフに正しく伝えてもらいたいという期待も持っています。
だからこそ、マネージャーという立場に就くからには、社長の右腕、左腕になったのだという自覚のもと社長と一心同体になって会社やチームを盛り上げていこうという気概がなければ務まりませんし、マネージャーにそのような気概がないと会社自体も苦境に陥ります。
マネジメントという言葉の意味は広いです。
経営全体の中でも使われますし、現場の中でも使われます。
マネージャーとはマネジメントを行う人のことをいい、現場におけるマネジメントを担当します。
ところが、ここに大きな常識の壁が立ちはだかっています。
それは、マネジメント=管理という感覚が、多くのマネージャーの意識の中にはびこっていることです。
ここでいう管理とは、業務管理や勤怠管理など決められたルールに則って一定の物事を管理することを言いますが、それは、マネジメントを行う中でのほんの一部の事象にしかすぎません。
マネージャーが行うマネジメントは、本質的には社長が行うマネジメントと変わりありません。
社長の行うマネジメントの規模や範囲を小さくしたようなものです。
マネジメントの一般的な定義は、目標を明確にした上で、使える資源を活用し、進捗管理を行いながら成果を実現することですが、マネージャーはチームに限定した範囲でマネジメントを行います。
チームの目標を立てて、スタッフや情報、取引先といったチーム内に存在する資源を上手に活用しながら、求められた結果を実現します。
チームの目標を立てるときには、社長の承認を得た上で、スタッフにも理解させることが必要です。
そのような役割を担う中で、日々の業務管理を行ったりスタッフの勤怠管理を行ったりなどの事象が発生するのです。
マネジメントと管理が全く異質なものだということを理解しないままマネージャーとしての立場に就くということは、マネージャーとしての仕事を放棄していることに等しいわけです。
前述した通り、マネージャーはチームの目標を立てます。
チーム全体を、このような状態にして、このような結果を生み出すということを明らかにした目標です。
この目標の指標は数字で表されることが多いのですが、ここにも大きな落とし穴があります。
それは、社長が作った数字が絶対だという思い込みから、社長から示された数字を丸呑みしてチームの目標として仕立てあげてしまうことです。これでは、マネージャーとしての意味を成しません。
社長は会社全体の数字を考えるにあたって、その前提としてチーム単位に落とし込んだ数字を考えます。
会社全体でこのくらいの数字を実現したい、そうなったとした場合それぞれのチームがこのくらいの数字を実現できているのではないだろうかという試算をしているだけなのです。
社長がすべての現場をマネジメントできているのであれば社長から示された数字を丸呑みして作ったチーム単位の数字にも信憑性が持てますが、それができるのであれば、そもそもマネージャーは必要ありません。
マネージャーという立場が存在する限りは、現場を良く知るマネージャーが、自分がマネジメントした結果実現しそうだと思える数字を作り、その内容を社長が吟味した上で会社全体の数字ができあがらなければなりません。
社長が吟味をする段階で、マネージャーが立てた数字を社長とマネージャーが一体となって検証し、双方が納得しあった上で、チームの目標数値として確定されます。
実態にそぐわない数字がチームの目標として立てられ、ふたを開けてみたときに実態に即した数字しか実現できておらず、それが会社全体の目標とのギャップとして現れ、会社が苦境に陥る場面がよく見られます。
マネージャーといえども、個人としての業務も抱えています。
従業員数の少ない一般の中小企業ではヒトを遊ばせておく余裕などないため、マネージャーは、日常業務をこなしながらマネジメントを行うことになります。
その中で、大きな錯覚が生じています。
それは、日常業務をやり終えた上で、余力の範疇でマネジメントを行えばよいという思い込みがあることです。
マネジメントは、片手間でやれるレベルのものではありません。
目標を明確にすることだけが求められているのであれば片手間でもやれないことはないですが、その後の成果を実現するために、現場で使える資源を上手に活用し、進捗管理も行っていかなければなりません。
つまり、マネジメント自体、日常的に行わなければならないことなのです。
社長を納得させるようなチームの目標を立てて、マネージャー自身が先頭に立って必死に業務を遂行しているのにもかかわらず、チームの成績が振るわずにマネージャーが社長に叱責されている場面をよく目にすることがあります。
人一倍働いているのに叱責を受けるのは、損な役割です。
しかし、その原因はマネージャー自身にあります。
日常のことばかりに目が行ってしまい、マネジメントが疎かになってしまっているのです。
日常業務とマネジメントとの間に優先順位という関係はありません。
日常業務をやりながら、同時並行でマネジメントを行うということしか方法はないのです。
マネジメントを行える環境を整えるために、マネージャー自身が業務のやり方を改善する、担当業務の一部を他のスタッフに委譲し身軽になるなどの工夫を凝らす必要があります。
チーム内の業務も、いつまでも同じ内容のものが同じ量だけ存在するわけではありません。
環境の変化とともに、次々と新しい業務が発生します。
新しい取引先ができれば、それに関係する新たな業務が発生しますし、会社が新しい事業を始めれば、それに付随して新たな業務が発生します。
そんな中で、チーム全体の業務が上手く回っていくようにするのもマネージャーが行うマネジメントの一環なのですが、そこにも常識の壁が存在します。
それは、今現在ある業務の整理を何も行わないまま新たに発生する業務にも対応してしまうことです。
今現在ある業務が当然のように今後もあるのだという思い込みが、弊害を生み出します。
新たな業務が発生するたびにヒトを増やせるのであればよいのですが、一般の中小企業では、そのような対応はできません。
ヒトを増やしたとしても、教育するのに時間がかかります。
そのような状況下で新たに発生した業務に対応するためには、今ある業務を取捨選択する必要があるのです。
引き続き対応するのだとしてもやり方が効率的になるように工夫する、そもそもなくてもよい業務はあっさりと切り捨てるといった対応をしていかなければならないのです。
その判断こそがマネージャーが行うマネジメントの一環なのですが、実際は、今ある業務の取捨選択が行われないまま新たな業務が蓄積されていくため、スタッフ一人一人の負荷が増え続け、チーム全体が疲弊し、生産性が著しく低下してしまうという場面が多く見られます。
社長の常識の壁の中でも触れましたが、ヒトに仕事をつけるのではなく、仕事にヒトをつけるのだという発想を、マネージャーも持つ必要があります。
マネージャーが行うマネジメントの中に、使える資源を上手に活用しながら求められた結果を実現するという内容があります。
チームにおける一番の資源はスタッフの存在ですので、ときにスタッフを鼓舞しフォローしながらチームとしての成果を追い求めていく必要があるのですが、ここにも常識の壁が存在します。
それは、スタッフにはっぱをかけることでマネージャーとしての責任を果たしたのだと錯覚してしまうことです。
はっぱをかけるというのは「頑張れ!」と尻を叩き、あるいは励ますことです。
これは、精神論以外の何物でもありません。
頑張らないスタッフは、そもそもチームに必要ありません。
スタッフは、すでに頑張っているのです。
頑張っているけど結果が思わしくない、つまり結果を出すためのやり方がわからないのです。
そんなスタッフのことを精神的に追い詰めるということは、そのスタッフを破壊することにつながりかねません。
結果を出せないスタッフに対して、ただ「頑張れ!」の一言で終わらせてしまっているとしたならば、マネージャーとしての仕事を放棄していることに等しいのです。
マネージャーには、スタッフが結果を出すためになにが必要なのか、どのようなプロセスが必要なのかを判断し、指導することが求められています。
そうすることで、必然的にスタッフも成長します。
その役割を担うためには、常にスタッフの行動に目を光らせ、スタッフの話に耳を傾ける必要があります。
すなわち、進捗管理を行うということです。
『今の若いヤツは○○だから』、このセリフは、日常生活の中のあちらこちらから聞かれます。
居酒屋で耳を澄ませていると、必ずや管をまきながら『今の若いヤツは○○だから』とぼやくオジサンたちの声が聞こえてきます。
このセリフは、なにもオジサンたちに限ったことではありません。
三十代の人間が二十代の部下や後輩を指して口にすることもありますし、極端な話、二十代の人間が高校生や大学生に対して口にすることもあります。
世代が異なれば時代背景や生活環境も異なり、ものの考え方や価値観、嗜好などが異なることが多いです。
このことは当たり前の話なのですが、この当たり前の話がマネージャーの常識の壁となって、部下の育成がスムーズに進まない原因を作ってしまうことが多いのです。
プライベートで付き合うときの判断基準にするのならともかく、部下の育成の場合は、組織に属する人間として、組織の方向性に基づいて個人としての能力を高めていくということなのですから、世代による考え方の違いに左右される余地はありません。
それなのに部下の育成の場面で『今の若いヤツは○○だから』というセリフが出てくるのは、マネージャー自身が、最初からコミュニケーションギャップがあるものと思い込み、壁を作っているからなのです。
加えて、部下が育たないことへの理由にもしているのです。
一昔前はノミュニケーションが当たり前だったのが今はそのようなやり方が通用しない、一昔前は打たれながら伸びでいくのがあたり前だったのが今はそのような考え方が通用しないといったような具体的な話も聞かれます。
しかし、それらは接するときの手段の問題であり、マネージャーとして教えられることや部下の自身が成長することを受け入れようとする姿勢は、今も昔も変わりません。
『今の若いヤツは○○だから』という言葉を口にした時点で、自分のほうから壁を作っているのだという認識を、マネージャーは持つ必要があります。
ヒトには、呑み込みの早いタイプとそうでないタイプがいます。
頭の回転が速いかそうでないかという違いもあります。
呑み込みが早く頭の回転も速いタイプの人間は、一見して、手取り足取りのような教育をしなくても自然に育つように見えてしまいます。
そのことが、部下の育成という役割を担うマネージャーの錯覚に結びつく場合があります。
伸びるヤツは放っておいても伸びるという錯覚に陥ってしまうのです。
部下の育成もマネージャーの大事な役割の一つですが、それ以外にもマネージャーは役割を抱えています。
多忙なマネージャーにとって、部下の育成は手を抜きやすい分野でもあります。
それゆえ、一見して呑み込みの早い、頭の回転の速い部下を持ったマネージャーが、「彼は、手取り足取り教えなくても成長するだろう」という感覚のもと手を抜いてしまうことがあるのですが、これは大きな間違いです。
どれだけ呑み込みが早い人間であっても、頭の回転が速い人間であっても、機会を与えなければ成長しません。
つまり、頭の中で理解したことを生かす場がなければダメなのだということです。
学校の勉強とは違い、社会人になってからの教育は、学んだ知識を仕事という実践の場に生かせるようになって、初めて成果が出るのです。
そして、仕事のアサインをするのはマネージャーの役割です。
知識を習得した部下に、それを生かせる仕事をアサインすることで、その部下は本物になります。
反面、生かす場を与えずに放置した場合、部下がこの会社にいたのでは自分自身が成長する場を作ることができないのだと思い込んでしまうことによる士気の低下を招くなど、成長の芽を摘んでしまうことになります。
部下の育成に関しては、部下の資質の程度に関係なく、一定の知識を習得させた上で生かす場を与えるというマネージャーの役割に変わりはありません。
マネージャーは、なんのために部下を育成するのでしょうか。
こう問いかけたときに、多くのマネージャーが、育成とは業務スキルを高めることだというような答え方をします。
担当業務の習熟度を高め、今よりも早く正確にこなせるようになってもらい、ひいては対応できる範囲を広げていってほしいという意味からくる答えです。
これはこれで、間違いではありません。
しかし、マネージャーの視点としては物足りないものがあります。
マネージャーであるならば、チーム全体のキャパシティーの拡大や自分自身のキャパシティーの拡大ということを視野に入れた対応を行ってもらいたいものです。
チーム全体のキャパシティーが拡大することで生産性が高まり会社の収益も拡大する、自分自身のキャパシティーが拡大することでマネジメントできる範囲が拡大しチームも強くなれるという発想のもとで、部下の育成を行ってもらいたいものです。
そうなれば、部下も、成長した後の自分の姿に関してリアリティのあるイメージを持つことができ、がぜんヤル気になるはずです。
反面、マネージャーにそのような発想がなければ、単なる習熟度の向上というイメージしか持てず、部下の視野も広がりません。
マネージャーとして機能するためには、今現在マネージャー自身が行っている業務の一部を他のスタッフに委譲することを考えなければならないということはすでに解説しましたが、そのことと部下の育成をリンクさせて行動することが効果的です。
部下の育成に関しては、日常業務を遂行する中で教えるという場面が多いです。
しかし、習熟度の低い部下は、何度も失敗します。
失敗したことを糧にして、今後同じ失敗を繰り返さないために必要なことはなになのかということを教えるのが教育なのですが、この場面にもマネージャーの錯覚が生じることが多いのです。
その錯覚とは、業務を通じて部下を成長させることを目的としてやっていることが、いつしか業務自体をつつがなく終わらせることが目的であるかのように論点がすり替わってしまい、教えるよりも自分でやったほうが早いという気持ちになり、部下の育成の部分がおざなりになってしまうということです。
そうすることで部下が育たなくなり、チームの生産性も上がらず、育たないことにマネージャーがストレスを感じるという悪循環に陥ってしまいます。
業務をつつがなく終わらせなければならないという課題と部下を育成するという課題は切り離さなければなりません。
そもそも、その二つの課題が両立することなどあり得ないのです。
よって、日常業務を遂行する中で行う育成の場合は、その業務に関しては、日々の業務計画の中から切り離しておく必要があります。
なによりも、部下を育てたいのなら失敗させることです。
失敗の中に、成長のヒントが隠されています。
人は、誰でも失敗を積み重ねて成長します。
マネージャーが代わりにやってしまうということは、部下の成長機会を奪ってしまうことなのです。
部下の育成に携わるマネージャーは、気を長くして対応する必要があります。
期末に人事評価を行い、その結果に基づいて来期の昇給昇格を決定するというのが一般的な形です。
一年間の実績や成長を見極め、来期に向けての期待度を決定し、人事処遇に反映します。
そんな中で、マネージャーは部下の評価作業に加わります。
部下と面談し、頭を悩ませながら、評価を下します。
このようなどの会社でも見られる場面に、常識の壁が立ちはだかっています。
その常識とは、部下の評価は期末に行うものだという認識のことです。
この言葉を耳にして違和感を覚えるマネージャーの方が多いと思います。
一年間の実績や成長を評価するのだから期末に行うより他ないのではないかということです。
評価の時期については、期末で問題ありません。
問題は、評価の時期が巡ってきたときに評価すればよいのではないかという考え方のことなのです。
はたして、期末に一年間を振り返ったときに、部下の一年間の実績や成長を正確に見極めることができるのでしょうか。
実績は、結果を見ればわかるというかもしれません。
しかし、たまたま巡り合わせが良くて結果も良かっただけの可能性もあります。
評価を行うということは、今後も期待できるのだということを見極める必要があるのです。
成長も同様です。
一年前の状態を思い出したときに、なんとなく成長したことはわかるのだが、どの部分がどの程度成長したのかということが見極められないのであれば、評価を行う意味がありません。
きちんとした評価を行いたいのであれば、日ごろから評価の視点で部下の言動に着目することが必要です。
最終評価は期末に下すにしても、評価そのものは日ごろから行う必要があります。
そうすれば、来期以降も期待できる一年間での実績や成長であったのかどうかも見極められますし、評価結果について不平不満が生じることもなくなります。
★ビジネスに関することで質問の多い内容をQ&A方式でまとめたページもありますので、参考にしてみてください。